今回は少し真面目な記事です(いつも真面目なつもりですが今回はさらに)。
ある日カターニアに住むカターニア人の友人から「コーミゾにあるパゴダ(仏塔)を見に行かない?」とメッセージが届きます。(※コーミゾ:シチリア南部の小さな町)
最初に思ったことは
「なんでシチリアに仏塔あるねん」
ですね。
でも仏教の国から来た身として、興味がないわけありません。二つ返事で「行く!」とメッセージを返します。
ただただ仏塔を見て、ランチして帰るだけだと思っていたら、偶然なのか運命なのか、僧侶・森下行尚さんにお会いします。
今回はそんな貴重な出会いについてです。
コーミゾ(Comiso)へ
コーミゾ(Comiso)はシチリア南部ラグーサ県にある小さな町。
冷戦時代に軍事基地だったところが今は民間空港になっているため、空港を利用するために来る人はいても、観光目的で来る人はあまりいないでしょう。
カターニアから車を走らせること1時間半。
10日間ほど続いた雨のせいか、それともずっとこのままなのか、舗装されていないガタガタ道をゆっくり進み、仏塔を見上げられるところまできてようやく駐車します。
駐車したところから5分ほど、仏塔まで徒歩で上ります。こちらも舗装はされていないので、すべらないよう気を付けて進みます。
仏塔パゴダ
丘の上でコーミゾの風景と青い空を背に、パゴダが立っています。
イタリア語では“Pagoda della pace(平和のパゴダ)”と呼ばれています。この青い空に白の仏塔が映えます。
金の仏像の下には線香が残っている。
そこから見渡す景色はやはり南シチリアの景色なのだけれど、仏塔を前になぜが日本にいるような心地よさがある。
ゆっくりを仏塔を色んな角度から見ている間、観光客がパラパラと1組、2組…来て写真を撮っては帰ります。すると、総勢10名ほどのグループがバイクで到着します。
お勤めの時間
こちらではお勤め(イタリア語ではpreghieraで「お祈り」という感じ)は朝の5時と夕方の4時半の2回と聞いていたので、昼前に到着した私たちは、今回は本当に仏塔を見るだけだと思っていました。
が、その10名のグループが事前に依頼をしたのか、僧侶の方が臨時でいらっしゃるとのこと。120%東洋人の私の顔を見てか(?)、私と友人たちもお勤めに参加させてもらえることになりました。
“日本山妙法寺”と書かれた扉をくぐり、お寺へ入ります。
「妙法寺…」
実家は日蓮宗ではありませんが、須磨の妙法寺の近くに祖父母が住んでいたことから、その名前にすごく親しみがありました。
それぞれ座布団をひいて、正座します。が、やはりイタリア人が正座をする経験なんてほぼないでしょう。みんな立て膝をついたまま座れないようです。
私もあまりに長時間になっては無理ですが、やはり正座に慣れているだけありましたね。終始問題なく正座でいられました(よかった!)。
私もイタリアで正座する機会はほぼないので、お寺の中で正座をすると物理的だけでなく精神的にも背筋が伸びる思いでした。
僧侶・森下行尚さん
黄色い僧衣姿の僧侶・森下行尚さんがゆっくりと入られます。穏やかなイタリア語で、写真を見せながら、ご自身のことやパゴダのことについて説明されます。
シチリアにたどり着いたのは1982年のこと。
それまでアメリカや、ヨーロッパはスウェーデンのストックホルムからオーストリアのウィーンまで徒歩で巡られたお話をさくっとされましたが、40年以上も前に徒歩でこの地を巡るなんて、大変なことですよね。
冷戦の後、コーミゾの軍事基地がなくなるタイミングで、ちょうどこの土地の所有者の方が、平和の活動のためだったらと一部を森下さんに寄贈したそうです。それから8年の歳月をかけて1998年に仏塔とお寺を完成されます。
そんなこのコーミゾの仏塔は、ヨーロッパで4番目にしてイタリアで唯一のパゴダだそうです。
途中、私の顔を見るなり「あれ?」と少し驚いたように日本語で話しかけてくださいました。
大阪の長堀通にお寺があり、須磨の妙法寺にもいらっしゃったことがあるとか。シチリアにいながら「須磨」なんて口にすると思っていませんでした。
少しだけ身の上話を日本語でしたのち、参加者全員でうちわ太鼓を持ち、森下さんの声にしたがって南無妙法蓮華経を唱えます。
長時間の正座は難しいからか、短いお勤めでしたが、貴重な体験をさせて頂きました。
森下行尚さんは2018年にコーミゾから名誉市民の称号を贈られ、その証書はお寺に飾られています。
さいごに
仏教にも様々な宗派はあれど、森下さんとの時間を通して改めて、イタリアに住んでいても自分自身から決して失われることのない「日本人らしさ」のようなものに触れた気がしました(正座だけじゃないですよ)。
帰ってからコーミゾのパゴダ、僧侶の森下行尚さんについて調べる中で見つけた、短いドキュメンタリーをこちらにのせます。
ドキュメンタリーの最後に森下さんがイタリア語で仰った、
Sempre rispetto agli altri. Questa è importante per la convivenza.
「いつも他人に敬意を。これが共存するために重要なことです」
という言葉がささります。
いつも他人をリスペクトしたいと思いながらも、自分のエゴが邪魔をし、忘れがちになる。自分のことで手一杯のときは周りが見えなくなる。それでも、何度でも思い出しては、実践し続けるしかないですね。
森下行尚さんと仏塔を守るために日々尽力されているスタッフさん、連れてきてくれた友人たち、その日一緒にお勤めをした方々、本当にありがとうございました。